
エドガー・アラン・ポオ 「メッツェンガーシュタイン」
初めて書店で買った一般書(絵本やマンガ、ジュヴィナイルを除く)は確かシャーロック・ホームズものだった。小学生の頃は子供向けの探偵小説ばかり読んでいたので、ホームズの研究書(?)に食指が動いたのではなかったか(ちなみに初めて買った洋書は映画『Yellow Submarine』のペーパーバック絵本だった)。同じく初めて観た劇場公開映画(怪獣映画や長編アニメ、特撮ヒーローを除く)が、エドガー・アラン・ポオの原作ものだったのは自然な成り行きである。『世にも怪奇な物語』(Histoires Extraordinaires 1968)は3人の監督が異なる3本の短編を撮ったオムニバス映画。監督ロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フ ェデリコ・フェリーニ。出演ジェーン・フォンダ、ピーター・フォンダ、アラン・ドロン、ブリジット・バルドー、テレンス・スタンプという、今にして思えば豪華絢爛たる監督と俳優たちの競演だった。
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フレデリックの古城へ一頭の大きな黒馬が駆け込んで来る。焔に包まれたウィルヘルムの馬小舎から突然現われた黒馬だというけれど、そんな馬は今まで誰も見たことがなかった。フレデリックにだけ従順になる暴れ馬は焼死した青年、ウィルヘルム男爵の「化身」なのだろうか?‥‥城内では黒馬の部分だけが焼け落ちて消失してしまった巨大なタペストリー(伯爵家に代々伝わる合戦の図柄)を老織物師が修復している。フレデリックは次第に姿を顕わして来るタペストリーの中の「黒馬」に不吉な運命を感じる。漸く復元された「黒馬」の瞳は真紅の血のように赤く燃え立っていた。ある嵐の夜、落雷と強風によって草原一帯が火の海と化す。狂ったように哭く黒馬に呼び起こされたかのように、フレデリックは黒馬に乗って草原の焔の中へ突き進むのだった。
A・ピエール・ド・マンディアルグの『オートバイ』(1963)はエドガー・アラン・ポオの「メッツェンガーシュタイン」の一節をエピグラフに引用している。主人公のフレデリック(原作では青年)を若い女性レベッカ・ニュル(19歳)へ性転換し、乗りものを黒馬からバイク(ハーレー・ダヴィッドソン)に乗り換えて、20世紀のアウトバーンを疾走する。薔薇の花束でレベッカの裸体を鞭打つというマンディアルグらしいサド・マゾ趣味もある。ロジェ・ヴァディムに『オートバイ』の鮮烈なイメージが残っていなかっただろうか。『バーバレラ』(1968)はジェーン・フォンダの美しいヌードを鑑賞するためだけのSFエロ映画の傑作だったが、「黒馬の哭く館」 にはフォンダ姉弟の近親相姦のイメージも隠喩されている(ピーターは2年後に『イージー★ライダー』を製作することになる)。黒馬やオートバイに跨がって、「死」 に向かって疾駆する主人公のモチーフは第3部のマセラティ(フェラーリ ?)へ乗り継がれて行く。
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サディスティックで残虐な性癖のウィルソンが「悪」ならば、ドッペルゲンガーのウィルソン2は「善」を象徴する。ジキル博士とハイド氏のような2重人格者のように、1人のウィルソンが善と悪、2つの人格に分裂しているのだ。ウィルソン2が怪傑ゾロみたいなマスクで顔を隠しているとしても、2人のウィルソンを目撃している級友や友人たちが不思議に思わないのは奇妙なことだが、ウィルソン2は主人公の「幻覚」というわけではない。退学処分になって将校となったウィルソンはカジノに入り浸ってイカサマ・トランプの腕を磨く。ある夜、黒髪の貴婦人(ブリジット・バルドー)に侮辱されたウィルソンはカード・ゲームでワザと負け続けた後に賭け金を倍に上げて、得意のイカサマで勝負を逆転する。破産した貴婦人に「肉体」を賭けさせて勝利する。ウィルソンの要求は彼女の躰を奪って凌辱することではなく、公衆の面前で半裸にさせて彼女の背中を激しく鞭打つことだった。
倒錯的な快楽に酔うウイルソンの前に3度ウィルソン2が現われてイカサマ・トランプを暴露する。歓喜の絶頂から屈辱の奈落へ突き落とされたウィルソンは剣を抜いて相手に決闘を迫るが、逆に返り討ちに遭う。自暴自棄になった彼は短剣を抜いて背後から襲う‥‥「バカなことを‥‥俺が死ねば、お前も死ぬのだ」と、言い残してウィルソン2は死ぬ。告白を終えたウィルソンはドッペルゲンガーの存在を司祭に信じてもらえず、絶望して教会の高塔から身を投げる。墜落死したウィルソンの脇腹には「分身」を刺殺した時と同じ短剣が突き刺さっていた‥‥。能面顔で若い全裸女性の躰を手術用のメスで突き刺したり、グラマラスな半裸美女の背中を鞭打つ残虐でサディスティックな性癖は子供が観る映画としては刺戟が強すぎるかもしれない。ルイ・マル監督の嗜好なのか、男女のサド・マゾ趣味はポオの原作には描かれていない。
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TV番組に出演したトビーは、神を信じるかという質問には躊躇して否と答えるが、悪魔を信じるかという問いには「私の悪魔は可愛い少女の姿をしている」と意味深長な発言をする。イタリアで開催される映画祭(ヴェネツィア国際映画祭?)の「金牝狼賞」受賞式にゲストとして招待されたトビーは泥酔状態となり、マクベスの一節を引用したスピーチの途中で会場から逃げ出し、赤いマセラティを狂ったように疾駆する。スピード狂のトビーはローマへの道に迷い、「工事中危険」 という道路標識を無視して疾走する。橋の中央部分が崩れ落ちて奈落の底のような暗い深淵を覗かせているハイウェイの手前でマセラティを止めたトビーに工事作業員が迂回路を示す。しかし、夜霧の中に白いボールと戯れる金髪の少女の姿を幻視したトビーは「俺が通れなかったら、悪魔に首をくれてやる!」と、泣き笑いしながら叫んで、マセラティを猛スピードで突進させる。
かつて美少女を誘拐〜地下室に監禁して、美しい蝶々のように蒐集していた『コレクター』の青年、テレンス・スタンプの首が白いボールのように少女の足許に転がる!‥‥これは美少女という名の「悪魔のフェティシズム」だ。究極の恐怖は美少女そのものではないかという妄想も浮かぶ。美少女の可愛い笑顔と背筋が凍り着くような世にも怖しい表情‥‥天使と悪魔が共存する美少女マリナ・ヤルを子供の頃に映画館やTVの洋画劇場で観てトラウマになったという映画ファンも少なくないでしょう。ところが、「悪魔の首飾り」 の金髪少女は2人1役という説がある。少女(悪魔)役のマリナ・ヤル(Marina Yaru)は600人のオーディションの中から選ばれた1人だが、ロングとクローズアップで別人(2人1役)を起用しているという。つまり、白いボールを手に持った可愛い方の「手毬少女」がマリナ・ヤルちゃんではない可能性もあるわけです。
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ポオの原作は色気に欠けるどころか、そもそも女性の出る幕がない。「メッツェンガーシュタイン」(1836)のフレデリック男爵とウィルヘルム伯爵は青年と老人だったし、「ウィリアム・ウィルソン」(1939)の主人公がイカサマ賭博をする相手のグレンディングは成金貴族の男子学生だった。「悪魔に首を賭けるな」(1841)の主人公トビー・ダミットが首を賭ける 「悪魔」 は小柄な老紳士の姿をしていた。ウィルヘルム伯爵を若い女性に、トランプ賭博の男子学生を黒髪の貴婦人に、「悪魔」 を金髪の美少女に変えることで、銀幕に男女のエロティックな関係を生じさせたのである。映画『世にも怪奇な物語』のオムニバス3部作は3人の主人公の「死」で終わる。青年に愛憎の焔を燃やして焼死させた女と、自分の「良心」を殺した男の「死」は当然の報いという気もするが、アル中俳優のトビー・ダミットは殺人の罪を犯したわけではない。「死」 の誘惑に取り憑かれた果ての「自殺」とも考えられる。あるいは因果応報ではない理不尽な「死」がホラーの本質なのかもしれない。
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- 『世にも怪奇な物語』は日比谷みゆき座のパンフレット(1969)を参照しました
- マリナ・ヤル「2人1役説」は「FLICKHEAD: Toby Dammit」のコメントに基づいています
- 見出し(3部作のタイトル)や本文の一部をプチ修整しました(2024・9・3)

- 出演:ジェーン・フォンダ / ピーター・フォンダ / アラン・ドロン / ブリジット・バルドー / テレンス・スタンプ / マリナ・ヤル
- 監督:ロジェ・ヴァディム / ルイ・マル / フェデリコ・フェリーニ
- メーカー:アミューズソフトエンタテインメント
- 収録作品:黒馬の哭く館 / 影を殺した男 / 悪魔の首飾り
- 発売日:2006/06/23
- メディア:DVD

世にも怪奇な物語(Histoires Extraordinaires)
- あらすじ:黒馬の哭く館 / 影を殺した男 / 悪魔の首飾り
- 解説:松村 達雄 / 大沢 よう子 / 田中 純一郎
- 出版社:東宝株式会社
- 発売日:1969/07/12
- メディア:パンフレット

- 著者:エドガー・アラン・ポオ
- 出版社:東京創元社
- 発売日:1974/06/28
- メディア:文庫
- 目次:壜のなかの手記 / ベレニス / モレラ / ハンス・プファアルの無類の冒険 / 約束ごと / ボンボン / 影 / ペスト王 / 息の喪失 / 名士の群れ / オムレット公爵 / 四獣一体 / エルサレムの物語 / メルツェルの将棋差し / メッツェンガーシュタイン / リジイア / 鐘楼の悪魔 / 使いきった男 / アッシャー家の崩壊 / ウィリアム・ウィルソン / 実業家