2026年04月21日

音楽と批評



  • だが、あのしみについては、よく分からない。釘のあとだとは思わない。それにしては大きすぎるし、丸すぎる。立ち上がって見ればよいのだろうが、立ち上がって見つめても、まず間違いなく、確かなことは言えないだろう。ものごとが起こってしまうと、どういう風にそうなったか誰にも分からないのだから。ああ! 人生とはなんとわけの分からないものだろう! 私たちが考えることはなんと不正確なのだろう! 人間には何も分かっていないのだ! 私たちは自分の所有物もまったく管理できていないことを示すために──これだけ文明が発達していながら、生きていくことはなんと偶然性に満ちているものかを示すために──私たちが一生のうちに失うものをいくつか数え上げさせて欲しい。まず──これがいつもどうや って失くなったのか──猫がかじったのか、鼠がかじったのか──いちばん分からないものに思えるので──製本用型押器の入った三個の薄青い缶はどうなったのだろう? それから鳥籠、鉄の輪、鋼鉄製のスケート靴、アン女王時代の石炭入れ、玉突きゲーム盤、手回しオルガン──みんな失くなってしまった。
    ヴァージニア・ウルフ 「壁のしみ」(川本 静子訳)


  • ◎ Animaru(Bayonet 2025)Mei Semones
  • 芽衣シモネスのデビュー・アルバムの記事を書く際に、いつものように海外のレヴューを幾つか参照した。その中に、蛇、鹿、山羊、栗鼠など、森の動物たちが登場する〈Donguri〉について、《レオノーラ・キャリントン(Leonora Carrington)の掌篇 「デビュタント」(The Debutante 1939)の語り手、動物園のハイエナだけが唯一の友達である少女が思い浮かぶ》(Pitchfork 2025・5・12)というレヴューがあった。ちょうど中・短篇集『石の扉』(国書刊行会 2025)を読んでいたので、この偶然性に驚き、共時性に嬉しくなった。某音楽雑誌のアルバム・レヴューを何万枚も読んで来たが、シュルレアリスム画家レオノーラ・キャリントンの名前に言及したことは記憶する限り一度もない。日本の音楽評論家は音楽のことしか書かない。根掘り歯掘り、微に入り細に入り、やたら音楽には詳しいけれど、硬く閉ざされた 「石の扉」 のように閉塞・密室的で、外へ拡がる開放感がない。アート全般 ‥‥文学、美術、映画、演劇、カルチャーなどの中の音楽という広い視野で批評する欧米クリティックとの大きな違いである。どちらが刺戟的で面白いかは改めて言うまでもない。

  • ◎ I’m All Ears(Transgressive 2018)Let's Eat Grandma
  • 英イーストアングリア・ノリッジ出身の十代少女デュオ名はカンマ(,)のあるなしで、意味が全く異なる英文法の例題から採られている。「お婆ちゃんを食べちゃおう」 の2ndアルバム収録曲、Sophie、Faris Badwan(The Horrors)と共作した〈Hot Pink〉は《「ホット・ピンクは私のものでしょ?」 と悲鳴を上げ、ドラッグストアのリップスティックとバービー・コンヴァーチブルの色合いを闘いの雄叫びに変える》(Pitchfork 2022・5・2)と評された。口紅の色がピンクなのは分かるが、「バービー・コンヴァーチブル」(Barbie convertibles)が分からない。そこで 「イメージ・サーチ」(Google)すると、ピンク色のオープンカーに乗ったバービーの画像が大量に表示された。少なくとも英米の女性は 「バービー・コンヴァ ーチブル」 という言葉から瞬時にピンク色を連想するはずだ。レヴュアーは少女時代にバービー人形で遊んだことがあるから、この言葉が思い浮かんだと想像するに難くない。幼少時にリカちゃん人形と遊んでいた日本の女性からは逆立ちしても出て来ないイメージである。

  • ◎ Okovi(Sacred Bones 2017)Zola Jesus
  • 《ダイド(Dido)の〈Here With Me〉を思い起こさせるビートとチェロ・コンボを通じ、ダニロヴァは危険を冒して彼女らしく死に踏み込み、オフィーリアとヴァージニア・ウルフの伝統に身を投げる》(Pitchfork 2017・9・6)。シェイクスピアの戯曲『ハムレット』の登場人物、ラファエル前派の画家ジョン・エヴァレット・ミレーが描いた絵画(Ophelia 1851 -1852)、「意識の流れ」(Stream of consciousness)の英女性作家を知らなければ、この文章は理解不能である。オフィーリアは川辺で花冠を作っている最中に足を滑らせて川で溺れ、ヴァージニア ・ウルフは死体が浮き上がらないようにコートのポケットに石を詰めて、ウーズ川に入水自殺した。ゾラ・ジーザス(Nika Roza Danilova)の〈Soak〉という曲なので、「びしょ濡れ」 で溺死した女性2人の名前を引いて、「身投げする」(drowning herself)という比喩表現になるわけだ。Marissa Nadlerの〈Virginia〉(2014)やRobyn Hitchcockの〈Virginia Woolf〉(2017)など、ウルフは今でも人気があって、Julia Holterに至っては〈Our Sorrows〉(2012)に、小説『波』(The Waves 1931)の一節を引用している。

  • ◎ Holding Hands With Jamie(Rough Trade 2015)Girl Band
  • 《歌詞は真夜中の酔っぱらいの長くて退屈な話や同じダブリン人、レオポルド・ブルームの内面の彷徨いを想わせる》(The Guardian 2015・12・17)。2011年、アイルランド・ダブリンで結成されたポスト・パンク・バンドはThe Murder CapitalやFontaines D.C.など、同郷のポスト・パンク勢に比べて、ノイズ&インダストリアルの含有量が多い。バンド名に反してメンバー4人、Dara Kiely (ヴォーカル)、Alan Duggan(ギター)、Daniel Fox(ベ ース)、Adam Faulkner(ドラムス)は全員男性で、トランスジェンダーでも、女装趣味があるわけでもない。「性別を間違えた名前」(Misgendered Name)という批判に晒されて、2021年、Gilla Band( 「Gilla」 はアイルランド語で 「若者・従者」 という意味)に改名したのは残念だった。1stアルバムのレヴューはレオポルド・ブルーム(Leopold Bloom)がジ ェイムズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』(Ulysses 1922)の主人公だと知らなければ意味不明である(俺は 「ユリシーズ」 を読んでいるという評者の自慢も少し入っているかも?)。

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    • 文学・美術・文化など、広い視野による英米の音楽レヴューの面白さを纏めてみました

    • ハイエナはメイドを食べて、剥ぎ取ったメアリーの顔の皮を(檻から脱獄したレクター博士のように)マスクにして、少女に為り変わって社交界(舞踏会)にデビューします
    • Lucrecia Daltの〈The Common Reader〉はV・ウルフのエッセイから採られた?

    • Gilla Band(ex-Girl Band)の2ndアルバム《The Talkies》(2019)に収録された〈Aibohphobia〉(アイボ恐怖症)は曲名だけでなく、歌詞も回文になっています
    • >Let's Eat Grandmaの〈The Cat's Pyjamas〉は猫のゴロゴロ音をサンプリング

    • ヴァージニア・ウルフの短篇 「壁のしみ」(The Mark on the Wall 1917)のオチは釘(nail)の痕ではなく、蝸牛(snail)だったという 「言葉遊び」 になっています

    • 〈音楽と批評〉で紹介した4枚のアルバム(輸入CD)は全て自腹で購入しました^^;
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    壁のしみ ヴァージニア・ウルフコレクション

    壁のしみ ヴァージニア・ウルフコレクション

    • 著者:ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf)/ 川本 静子(訳)
    • 出版社:みすず書房
    • 発売日:1999/08/01
    • メディア:単行本
    • 目次:壁のしみ / キュー植物園 / 固い物体 / 書かれなかった小説 / 幽霊屋敷 / ボンド街のダロウェイ夫人 / 外から見た女子学寮 / 新しいドレス / 存在の瞬間──「スレイターの店のピンは先が尖っていないのよ」 / 姿見のなかの婦人──ある映像 / 侯爵夫人と宝石商 / 狩りの一行 / ラッピンとラピノヴァ / 三枚の絵 / サーチライト / 訳者あとがき


    青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集

    青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集

    • 著者:ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf)/ 西崎 憲(編訳)
    • 出版社: ‎亜紀書房
    • 発売日:2022/01/19
    • メディア:単行本
    • 目次:ラピンとラピノヴァ / 青と緑 / 堅固な対象 / 乳母ラグトンのカーテン / サーチライト / 外から見たある女子学寮 / 同情 / ボンド通りのダロウェイ夫人 / 幸福 / 憑かれた家 / 弦楽四重奏団 / 月曜日あるいは火曜日 / キュー植物園 / 池の魅力 / 徴 / 壁の染み / 水辺 / ミス・Vの不思議な一件 / 書かれなかった長篇小説 / スケッチ(電話・ホルボーン陸橋・イングランドの発育期)/ 解説 ヴァージニア...


    Animaru

    Animaru

    • Artist: Mei Semones
    • Label: Bayonet
    • Date: 2025/05/02
    • Media: Audio CD
    • Songs: Dumb Feeling / Dangomushi / Tora Moyo / I Can Do What I Want / Animaru / Donguri / Norwegian Shag / Rat With Wings / Zarigani / Sasayaku Sakebu


    石の扉

    石の扉 キャリントン中・短篇集

    • 著者:レオノーラ・キャリントン(Leonora Carrington)/ 野中 雅代(訳)
    • 出版社:国書刊行会
    • 発売日:2025/04/08
    • メディア:単行本(シュルレアリスム叢書)
    • 目次:彼らが丘の斜面を駆けたとき / 三人の猟師 / 鳩よ、飛べ!/ シリル・ド・ガンドル氏 / 悲しみにうちひしがれて / 姉妹 / 白兎たち / 待ちながら / 七頭目の馬 / 中性の男 / 私の母は牛です / 私のフランネルのニッカーズ / 製薬業創始法 / エト・イン・ベリクス・ルナルム・メディアリス / 幸福な死体の物語 / メキシコのお伽噺 / グレゴリー氏の蠅 / 砂の駱駝/ ジェミマと狼 / 石の扉 / 解説 「作家レオノーラ・キ...


    恐怖の館

    恐怖の館 世にも不思議な物語

    • 著者:レオノーラ・キャリントン(Leonora Carrington)/ 野中 雅代 (訳)
    • 出版社:工作舎
    • 発売日:1997/09/12
    • メディア:単行本
    • 目次:序文、またはロプロプは風の花嫁を紹介する マックス・エルンスト / 恐怖の館 / 卵型の貴婦人 / デビュタント / 女王陛下の召喚状 / 恋する男 / サム・キャリントン叔父さん / リトル・フランシス / ダウン・ビロウ / 一九八七年後記 / 訳者あとがき


    I'm All Ears

    I'm All Ears

    • Artist: Le's Eat Grandma
    • Label: Transgressive
    • Date: 2018/06/29
    • Media: Audio CD
    • Songs: Whitewater / Hot Pink / It's Not Just Me / Falling Into Me / Snakes & Ladders / Missed Call (1) / I Will Be Waiting / The Cat's Pyjamas / Cool & Collected / Ava / Donnie Darko


    Okovi

    Okovi

    • Artist: Zola Jesus
    • Label: Sacred Bones
    • Date: 2017/09/08
    • Media: Audio CD
    • Songs: Doma / Exhumed / Soak / Ash To Bone / Witness / Siphon / Veka / Wiseblood / NMO / Remains / Half Life


    Holding Hands With Jamie

    Holding Hands With Jamie

    • Artist: Girl Band
    • Label: Rough Trade
    • Date: 2015/09/25
    • Media: Audio CD
    • Songs: Umbongo / Pears For Lunch / Baloo / In Plastic / Paul / The Last Riddler / Texting an Alien / Fucking Butter / The Witch Doctor
    posted by sknys at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | m u s i c | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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